高橋 巧 氏 (株式会社南都 ガンガラーの谷 ディレクター)
-鍾乳洞カフェなどユニークな取り組みをされていらっしゃいますが、そもそも「ガンガラーの谷」とはどのような場所ですか?
ガンガラーの谷とは、数十万年前に鍾乳洞が崩壊して出来た、東京ドーム程の面積をもつ谷のことです。昔の住民の方がこの地にあった謎の岩穴に向かって石を投げた音が「ガンガンガラガラガンガラー」と聞こえたのが谷の名前の由来だそうです。
私たちはここで、この神秘的な谷を巡るツアーや鍾乳洞カフェ「CAVE CAFE(ケイブカフェ)」を運営しています。ツアーでは、推定樹齢150年とされるガジュマルや、地元の人が数百年前から信仰している洞窟などを1時間20分程度かけて巡ります。年間8万人ほど参加いただく人気のツアーです。
ガンガラーの谷の初公開は1972年。しかし、数年後、谷内を流れる河川へ上流の畜舎からの排水が流れ込んだことで環境が悪化し、公開を中断せざるを得ない状況になったんです。そこから河川の環境が改善されるまで30年以上かかりました。ようやく再開できるぐらいまで改善することが出来たのは2008年でした。
-環境が改善されるまで30年間も待ち続けたというのは凄いですね。
しかし30年待ち続けた間に、人々のこの谷への意識はなくなり、実は公開前は、地元の人どころか、会社のスタッフも「この谷に、価値はないんじゃないか」という人が圧倒的でした。当社は民間企業として、この谷を保有しています。そのため、固定資産税など保有しているだけでもコストがかかるんですね。いつ環境が改善されるかも分からない谷にどうしてそんなにコストをかけるんだ、と反対する意見は出て当然だと思います。
でも、創業者でもある今の会長が一貫して「この谷は後世に残していくべき、価値のある場である」という信念を持っていました。だからこそ、再公開まで待てたんだと思います。
(鍾乳洞カフェ「CAVE CAFE」内で行ったコンサートの様子)
「明るい観光地を創りたい」40年以上続く、一環した想い
―どうしてそのように強い想いを抱くようになったのでしょうか。
それは、沖縄特有の歴史に関係があるようです。沖縄は70年前の太平洋戦争当時、日本で唯一地上戦があった地域です。このガンガラーの谷などがある沖縄本島南部エリアは、特に激しい地上戦があったことから沖縄の人たちからも戦後も「怖い場所」という風に思われていたんです。一方で、このエリアにも普通に幸せな生活を営んでいる人たちがいる。そんなギャップの中で、沖縄南部のイメージを変える「明るい観光地を創りたい」と思ったのが始まりのようでした。それが1970年ごろ。沖縄はまだ日本に復帰しておらず、アメリカに統治されていた時期でした。また当社とこの土地との出会いは創業者が若い頃、戦争の遺骨収集ボランティアを継続して行っていく中で、遺骨を拾いに様々な場所へ行く際に、多くの沖縄の聖地や神秘的な自然と出会いました。ガンガラーの谷と同様に当社が運営を行っている「玉泉洞」もその一つです。
玉泉洞やガンガラーの谷など、沖縄本来の豊かな自然に深く感銘を受ける一方で、開発によって壊されていく自然もある。そんな現状を目の当たりにした創業者が「価値を伝え、残さなければ」と動きだしたのがきっかけです。
そのことを感じたのが、「沖縄が日本に返還される」と発表されたころであり、創業者の気持ちの中には、「このままでは沖縄は日本の一部として飲み込まれてしまうのではないか。」と思う危機感のようなものもあったそうです。そこから「沖縄本来の魅力で東京に勝てるところは何か?」ということを考え始めると、やっぱりここにしかない自然や歴史、文化なんじゃないかという考えにいたりました。そこで数年かけて沖縄県内で資金を集め、周辺住民一軒一軒に足を運びながら玉泉洞やガンガラーの谷などの土地を管理し始めます。「明るい観光地を作りたい」という想いで、ひたすら周囲を巻きこんでいったようです。結果、「民間企業が谷や自然を保有する」という日本でも類を見ない形式で会社を運営していくことになりました。
-創業時から、「沖縄のために」必要なことを考えてこられたのですね。
創業してから今年で45年、変わらずに持ち続けているミッションは、「沖縄にしかない自然・歴史・文化を守るために、その価値を伝える」というものです。だからこそ、あえて「観光地化」をしています。
現代の社会システムですと土地を所有している場合、何かに活用しないと税金だけ出てしまう。支出だけにしないためには何かに活用しないといけない。通常土地を改良して農地にしたり、建築をしたりとなると思いますが、一度本来の自然を開発したら元の姿には二度と戻らない。自然を壊さずにその場所を守って行くための1つの手段として、自然を開発せず、壊れないようにその価値を伝えることで持続的に収入を得る。あえて観光地化することがその自然を守るということに繋がっていると考えています。自然をそのままに収益を上げることが出来ればそれは実現できます。自然を守り続けるということを大切にしているからこそ、「ビジネスとして持続可能なかたちで運営していく」ということを強く意識しなければならないと思っています。
「なるべく話さないガイド」?年間8万人が参加する人気ツアーの秘密
-年間8万人も参加するツアーは日本でも稀なほどのツアーだと伺っています。人気の秘密やツアーガイドの際に気を付けていることを教えてください。
一番は、お客さん自身の感動を最優先に考えていることだと思います。例えば、お客さまが感動している風景等の時にはなるべく話さないようなガイドを目指しています。ガイドツアーというと、通常は目の前にある植物や遺跡などを解説して回るものだと思いますが、私たちは目の前の本物を見つつも、その裏に広がる広大な目に見えない世界を、お客様それぞれの頭の中で想像してもらえるようなガイドを心がけています。一応ガイドマニュアルもありますが、ガイド個人個人が自分の感動・気持を伝えるというガイドを心がけ、お客様が自分の感性で、ぐっとくる瞬間を作り出してもらえるようにと思っています。
(一日に何回か行うツアーの様子。「神秘的な谷を独り占め」している感覚が損なわれないよう、前後のツアーと鉢合わせをしない徹底的な配慮をしているそう)
-マニュアルがありつつも、スタッフの皆さんがそれぞれ個性豊かにガイドをされるのも魅力的なのでしょうね。企業としての今後の展望について教えてください。
これからは、メインのガイドツアー運営に加えMICEに力をいれていきたいと思っています。
最近では世界のMICEニーズも多様化し、国際的なMICE誘致競争には「ユニークベニュー」といわれるその土地独自の歴史的建造物、文化施設や公的空間等で、会議・レセプションを開催することが流行ってきており、それは私たちの鍾乳洞カフェが2009年から取り組んできたことにぴったりという事に、つい一昨年気づきました。この場所を守る為に実際に世界中からこの地にお越し頂き、利用して頂くことは当社創業からの使命に合致していると考えています。私たちの鍾乳洞パーティーが今後国内を代表するユニークベニューに成れるように取組みに力を入れています。直近の課題としてはやはり人です。私たちの組織が、今までツアーガイドをメインにしたチーム作りをしてきたのですが、今後は、より多様なMICEニーズに応えられる受入れをコーディネートしていくような存在が必要です。もちろん、普段はツアーガイドも担当してもらいますので、「お客様に楽しんでもらいたい、ガイドをしたい」と思う方に参画いただけたらと思っています。何よりも「ガンガラーの谷を守るのは私」と思えるぐらい、この場所を好きになってくれる方と一緒に働きたいですね。
-最後に、メッセージをお願いします。
私が22年前にこの会社に入った時は、沖縄が観光で発展していくなんて思いもよりませんでした。その当時は、開発によって経済が成り立っていたからです。観光産業が盛り上がり始めたのはここ15年ぐらいでしょうか。その中で、当社は45年も前から一過性のブームに乗るのではなく、沖縄のことを伝え続けるために一環してこの事業に取り組んできています。「沖縄の人が創った沖縄の民間企業」だからこそ、沖縄に奉仕し、未来に守って伝えていく、そんなことを目指して行っています。私自身も、こんなに面白い仕事は世の中にない、と胸を張って言えるぐらい、楽しく仕事をしています。沖縄のこの場所を守り続けていくために、経営もきちんと回しながら価値を伝えていく。そんな趣旨に共感いただける方にぜひエントリーいただければと思います。